クソコードとかいうおぞましい何かについて
仕事がしんどい。
というのも、最近アホみたいに長いクラスに機能追加で実装をやっているからだ。
その行数は2000行。
いや、この程度の行数ならまだマシだろと思うかもしれない。
私はまだ3つしか案件を経験しておらず、ベテランの方からしたら経験が浅いからこの行数がしんどく見えるかもしれない、が。
よく分からない分岐、コメントの少なさ、状態遷移の多さ、そしてそれに対してのドキュメントの少なさ…など、理解に時間がかかりまくった。
そしてようやく理解した頃には、もうそのコードを見るだけで頭がぼーっとするくらい、生産性がだだ下がっていた。
何故このような事態になってしまったのか?
私が今回体験したケースでは、以下の2つの要因があると考えられる。
開発手法
今回、現場ではアジャイル開発でシステムの開発が進行していた。
そして、アジャイル開発は仕様の変化に柔軟に対応するため、機能追加を前提としている。
そう考えると、機能追加に柔軟に対応できる実装をそもそもしなければならない。
だが、機能追加対象のクラスは一つしか定義されておらず、その中にすべての処理が実装されていた。Utilなんてものは存在しない。
クラス設計?なにそれおいしいの?状態だった。
技術者の知識不足
以下のような実装が例だ。
1. あるステータス(ここではAとする)がクラスフィールド変数として定義された状態になっている
2. そのステータスに依存する形のステータスBが存在している。
3. Bはクラスフィールド変数として宣言されておらず、ゲッター関数に処理を記載し、取得可能。
ゲッターに複雑な処理を書くのは、本来単純な値返却関数である命名規則の意図から反したものだ。
しかも、「フィールド変数として定義されていない」ということは、フィールド変数から対象クラスが持っている状態について把握することがとても難しくなってしまう。
つまり、可読性が落ちる。
ただ、可読性に関しては、タイトなスケジュール設定がされていればしょうがないかもしれない…。
でも、せめてコメントに残すくらいの努力はしてほしい。
私達はクソコードに対して何ができるのか
ここで、クソコードに関する、あるストーリーを紹介しよう。
megamouthさんが書かれているブログの一記事である。
クソコードによって疲弊するプログラマに対する敬意を感じる、素晴らしい記事である。
この記事によって幾人のプログラマが救われたことか…
ただ、クソコードに立ち向かい、理解しようともがくプログラマからは、夏の終わりのような哀愁を感じる。
少しでもこのようなことが減ってほしい。
だが現実問題、上記の記事のようなことは多いと思われる。
私が今回経験した案件もそうだが、それ以前にアサインしていた案件に関しても似たような経験がある。
前の案件で、その時上司に言われたのは「動けばいいから、とりあえず早く終わらせて」の一言だった。
上司自身もプログラマ経験があったはずなのに、なぜそのような思考になってしまったのか。
ここで、私はプログラマは大きく以下の5つに分類されるものと考えている。
- 生活型プログラマ
自分、あるいは家族など、生活のためにプログラマをやっている人をこう呼ぶ。
特徴としては、あくまで「プログラミング」を自身の生活の中で「仕事」というカテゴライズを行い、仕事以外のものと分類を行っているところか。
自身の中で「プライベート」と「仕事」のスイッチングをすることで、プログラミングをする。
- 上昇型プログラマ
明確な目標があり、それを達成するためにプログラミングをする。
プライベートでも仕事でも、目標のためにプログラミングの勉強をする。
- 無気力型プログラマ
自身で考えることを放棄し、コピペやプログラミング系ブログやQiitaからの引用のみで実装をする。
左から右へ受け流すのみというところか。
- 趣味型プログラマ
趣味でやっていたプラグラミングが、そのまま仕事になったタイプ。
プログラミングに関しては非常に優秀。
目標に対する意識より、プログラミング自体の楽しさを優先。
- 複合型プログラマ
上記のタイプの複合系。
例えば、趣味でプログラミングしており、かつ自分でサービスを作りたいエンジニアは上昇型と趣味型の複合である。
さて、ざっと分類はできた。
私の上司を例に取れば、「生活型と無気力型の複合」といえるだろう。
話を戻そう。
なぜクソコードを許す環境が出来てしまうのか?
まず、許されない環境には、上昇型エンジニアの存在が不可欠である。
クソコードが生成されてしまう背景には「とりあえず今を乗り切れればいい」という意識が存在するからだ。
なので、目標設定ができ、コードがそれに沿っているか判別できる上昇型エンジニアは必要だ。
つまり、先を見据えてしっかり意見を出すことが、クソコードの生成を減らすための最も効率的な対処法なんだ!
あと、クソコードに対する対処はぜひこの本を読んで欲しい。
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「仕事」に関する考察 (1)
どうもちゃんだいです。
早速ですが、皆さんは「仕事」に対してどういった思いを抱いていますか?
「単調な労働」、「人生における生きがい」、「何も感じない」etc...いろいろ感じることはあるかと思います。
が、それ以前に
- そもそも私達はなぜ仕事をしているのでしょうか?
- そもそも私達が仕事をすることでどこにどういった影響があるのでしょうか。
- そもそも仕事ってなんなんでしょうか。
…まあ正直、こういった話は歴史上様々な場面や場所で議論されてきました。
そこで、今回は「現代における仕事」についてを掘り下げ、読者の皆様におかれましては、より仕事に対して厚みを持って取り組んでいくために今回書かせていただきます。
「なんだこいつ上から目線で忌々しい!!!糞が!!!!」って書き方にならないように努力はしますが、万が一そのように捉えられてしまう記載をしていた場合は温かい心でご指摘をお願い致します。(厳しい言葉投げられちゃうと死んじゃう病なので、、、)
仕事ってなに?
まずはそもそも仕事とは何か、というところです。
これに関して、ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは一言で以下のように定義しています。
仕事とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。
この一文のみだと分かりづらいかも知れません。
つまり、自然に存在しないものを作り出していくための活動を「仕事」というふうに定義しています。
この仕事観は実に論理的、かつ完結で私は好きです。
確かに、私達のしている仕事は「自然」に存在していないからこそ成り立ちます。
自然に存在しているものを人間が搾取するというケースもありますが、それも非自然的です。
歴史上の観点から見ても、自然に存在するものを作り出す仕事は存在しないため、これが仕事の定義と見て恐らく間違いはないでしょう。
なぜ仕事をするの?
では、私達はなぜ仕事をするのでしょうか。
それには仕事の起源から探っていくことにしましょう。
先ほど、仕事の定義を「自然に存在しないものを作り出す」と言いましたが、とすると仕事の起源は「石器の作成」がそれに当たるのではないかと考えています。
ここで重要なのは、なぜ石器を作成していたのか?という部分です。
私はそれを以下のように考えています。
- 狩りの効率化のため
- 同族争いの際に有利に勝つため
そして、この2点に共通しているのは、、、「(何かに対する)より良いアプローチ手法」だという部分です。
つまり、「何か」を より良くするために仕事をする、それが仕事をすることの私の見解です。
総括
なぜ仕事をするのか?というところがわかったところで、今回は終わりにします。
次回は更に歴史的観点も鑑みて、現代の仕事にフォーカスを当てた考察を行おうと思います。
それでは。
人類史最初の技術はコミュニケーションじゃねーのって話
こんばんは。ちゃんだいといいます。
ちゃんと大きいと書いてちゃんだいです。
久しぶりにブログを書いた気分です。というか実際久しぶりに書いたんだけどさ。
なんか物書くのってやりだすとめっちゃ楽しいわ。やりだすまでが遅いんだけどさ。この性格変えよう。うん。
何話すかっていうのはタイトル通りです。
つかそもそも技術ってなんぞや?ってところから掘り下げて話していきます。
技術とは
そもそも技術の定義ってなんぞや?って感じなんですが、Wikiによると
技術(ぎじゅつ)とは、かなり多義的に用いられる言葉であり、ものごとを取り扱ったり処理したりするときの方法や手段。[中略]社会の各分野において、何らかの目的を達成するために用いられる手段・手法。
と定義されているようです。
ただ引用にもある通り、「かなり多義的に用いられる」言葉なため、これ!という定義が存在しないようですね。
多義的かぁ…ってなったら語源が気になったので調べてみました。
技術の語源は古代ギリシャ語の「tekhne」が由来だそうで、その意味は「技術、手工芸」だそうです。
これは印欧語根の「tek」から派生した語だそうで、「tek」には「作り出す、織る、切る」などの意味があります。
うーん、これらの語源から見ても、やはり「技術」=「(何かを)作り出す、処理するための方法」であると定義付けられそうです。
ちなみに、エンジニアの語源はこのブログによると、技術者の語源は古代ギリシャにおける「demiurgos(デミウルゴス)」が語源とされ、その意味は「民衆のために働くもの」となるようです。
日本では技術と技術者は字面ほぼ一緒なんですけど、ルーツは全然違うんですな。
語源たどるのこういうところ知れてたのしくてすき(小学生並みの感想)
技術のルーツとは
さて、先程技術は「(何かを)作り出す、処理するための方法」と定義付けられましたが、ではいつが始まりなのか?と言われると、これが結構難しい。
「形として残っているもの」でたどるのであれば、ルーツは「石器」となるでしょう。
この記事によれば、紹介されているこの石器が330万年前、技術としては最古となります。
ただ、ボクは「コミュニケーション」が人間が作り出した技術のルーツなのではないかと考えています。
というのも、コミュニケーションは具体的な起源が分からないものなんですね。
石器だってウッホウッホコミュニケーションとりながら作ったものかも知れません。
ただ証拠がないだけで。
コミュニケーションとは
では、そもそもこのコミュニケーションとはなんぞや?について掘り下げていきましょう。
とりあえずWikiです。
イヌやネコも、イヌやネコなりにコミュニケーションをしているが、しかし人間のように、こまやかな関係をつくることはできない。[中略]人間は親密になることも可能である。なぜ、このようなことが可能なのか。 それは、ひとつには人間が「ことば」を使えるからであり、お互いに「わかる」ことができ、共感(Empathy)を持つこと、共感することができるからである。
ここから分かる通り、犬や猫もコミュニケーションはしているのです。
ただ、普段人間が行うコミュニケーションとは根本的に違います。
具体的な違いとしては、私は「本能」によるものか「後付け」によるものかの違いだと思っています。
動物であれば、本能から威嚇する、本能から仲間に危険を知らせる、、、とか。
そういえばニワトリが朝に鳴く理由は外部からの刺激によるものではなく、体内時計による「本能」によるものなんですよ。
また、人間には今でも本能的なコミュニケーションは少なからず存在すると思います。
例えば、女性が怖い時に挙げる叫び声。
なぜ叫ぶのか?というのは諸説ありますが、その一つに「同種族の男性から守ってもらおうという本能」というものがあります。(明確なソースはありません。ごめんなさい)
または、ゴキブリを見たら本能的に後ずさりしちゃったみたいな経験、ありませんか?
それらからもわかるように、人間の本能はまだ残っています。
が、その本能の上に乗っかっている「後付け」のコミュニケーションが存在するために、人間は動物より更に細やかな関係を作ることができます。
ちなみに全然話逸れますけど、Wikiにある「共感」について、これは今まで目に見えませんでしたが、最近では「いいね!」という形になってSNS上で日常的に見られるようになっていますね。
…話を戻しましょう。
では、「本能的なコミュニケーション」と「後付のコミュニケーション」での決定的な違いとはなにか?
こちらのサイトでは以下のように指摘しています。
動物のコミュニケーションは基本的には先天的、本能的に定まっているものであるということ。つまり、もともと生まれた時から本能として知っているコミュニケーションしかとれないのである。要するに、コミュニケーションで表現できる状況というものを超えてしまう場合、コミュニケーションをとることが不可能である。それはつまり、「過去」「未来」に関するコミュニケーションを行うことが不可能であるということだ。
そうなんです。
当たり前かもしれませんが、動物は過去と未来をコミュニケーションできないんです。
ただ、動物にも共感はあります。
動物の共感に関する実験資料があるので、詳細を知りたい方は以下のリンクをどうぞ。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/ninchishinkeikagaku/13/1/13_89/_pdf
ここで言いたいのは、人間が「後付のコミュニケーション」をすることで決定的に他種族と差をつけたのは、この「過去と未来」を話すことができるようになったからだということです。
で、これからどうする?的な総論
このままじゃただのトリビアで終わっちゃいそうなので、上記で話したコミュニケーションという最強の技術と、今後のコミュニケーションの発展に関する展望を書いて終わります。
まず、上記で書いた事柄をまとめちゃいましょう。
- 人間は他の動物と違い、「後付のコミュニケーション」をという最強の技術を最初に開発した...かもしれない
- 同種族との関係性を他の種族よりもより細かく築くことができるようになった
- 現在だけでなく、過去と未来について共感ができるようになった
ここから重要な文言として、「現在」、「過去」、「未来」、「共感」、「細かい関係性を築く」の5つを切り出します。
そしてこれらは、前述の「後付のコミュニケーション」に必須の要素になります。
ここで、現在出回っているSNSでは、これらの三点はどのような形で実現されているでしょうか。
LINEの場合
Twitterの場合
- 現在
- タイムライン
- 過去
- タイムライン、プロフィール
- 未来
- タイムライン
- 共感
- いいね
- 細かい関係性を築く
- タイムライン、DM
Facebookの場合
- 現在
- タイムライン
- 過去
- タイムライン、プロフィール
- 未来
- タイムライン
- 共感
- いいね
- 細かい関係性を築く
- タイムライン、DM
…
…んん?
ボクの各システムに対する認識が悪いんでしょうか、それとも5要素に該当する機能の割り振り方がわるいんでしょうか。
かなりパパっと分析したので、細かいことは言えませんが、5要素はセパレートに切り分けられているわけじゃないんですね。
たしかに、まぁ5要素は明確に分けられるものではない気もしてきました。(特に現在、過去、未来は一要素として数えてもよかったかも)
ただこれらに共通しているのは、「共感」が明確に一機能として実装されていることです。
ここから何が言えるのかというと、現代のコミュニケーションは「共感」の要素が強いということです。
この共感の中にはもちろん、過去と未来への共感が存在することは確かです。
ただ先程も言ったように、本能的なコミュニケーションとの圧倒的な違いは「過去と未来」を「共感」できるところなんです。
「過去と未来への共感」だけが存在するコミュニケーションってどんなんでしょう。
…って、うーん、いろいろ考えてみましたが、まぁコミュニケーションについては僕自身まだまだ知識不足な感が否めないですね。
もっと勉強しまーす。
コミュニケーションの起源を探る (ジャン・ニコ講義セレクション 7)
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メタってなんぞ
先日、ボクの所属するエンジニアチームで定例会を行いました。
Twitterやってるので是非フォローを宜しくお願いいたします。(唐突な宣伝)
話を戻して、定例会のLTで発表した内容をブラッシュアップしてちょっとここに上げたいと思います。
書こうと思った動機
きっかけは唐突だった…
それは、平日、ボクが仕事をしているときに始まった一つの疑問から始まる。
こんなコードを見つけた。
ん…?
こんなんなりました。
そこからちょっと「メタ」って概念が気になったので、調べた内容をドバーッと放出しちゃいます。
メタについて
メタ(meta-)とは、「高次な-」「超-」「-間の」「-を含んだ」「ーを入れた」「-の後ろの」等の意味の接頭語。ギリシア語から。
??
例えば、WWW上の文章は主にHTMLによって記述されているが、この場合、元の文章に対してHTMLがメタな言語であるといえる。また、HTMLそのものは英語によって仕様が規定されている。この場合、HTMLにとって英語がメタな言語であるといえる。
???
Wiki先生…よくわからんっす…
ただWikipediaの言い方よりかは分かりやすく解説してくれてそうなサイトを発見!
理解できるか!?
うーんむ、なるほどわからん。
とりあえず上記サイトを読んでみてわかったのが、「メタ」と「メタファー」は似ているようでちょこっと違うということ。
んで更にメタファーについて調べていくと、メタは「meta: -を超えて」、メタファーのファーの部分は「-phorein: (運ぶ)」に由来している、ということが発覚。
メタとメタファーは違いますぜ | yaginuma-no-bbc | 10827
まぁ要は「メタファー」は、元の概念を「超えて」対象に「運ぶ」ので、言い換えれば「暗喩」のことを言っています。
以下に例を示します。
「月がきれいですね」という言葉が、暗に相手への好意を表している、という夏目漱石の有名な逸話がありますよね。
つまりこの表現は「相手の好意へのメタファー」といえます。
ちなみに調べてたらこんな画像もあった。クソワロタ
【全国統一大学生 #お笑いテスト】
— ツクバお笑いグランプリ (@T_1grandprix) 2017年7月31日
8月の小テスト
夏目漱石は「I love you.」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話があります。それをふまえ「I don't like you.」を訳しなさい
kamikiさん、百千万億 萬(@TumoiYorozu_ITF )さん、他 pic.twitter.com/LxZUzDT9Jl
...では次に、エンジニア的な例を取ってみましょう。
「HTML」や「XML」はエンジニアであれば扱ったことがあると思いますが、これは言語のための言語、つまりは「メタ言語」という扱いになります。
ちなみにこの「メタ言語」という概念自体は以下の2種類に分けられます。
後者はHTMLなどに代表されるマークアップ言語がそれに含まれます。
前者の論理学における「メタ言語」とは、こちらもある意味言語のための言語。
簡単に言うと、ある言語に対する説明に使用する言語のことを「メタ言語」といいます。
例えば、英語の授業を日本語で受けるケース。
この場合のメタ言語が日本語になります。
対象言語とは何ですか? Yahoo!辞書によれば「ある言語について語るとき、そ... - Yahoo!知恵袋
では、ここからはメタへの更なる深堀と、一応SEなのでギークっぽい話もしたいっていうのがあるんで、マークアップ言語が生まれた理由とかをざっくりと追っていきます。
マークアップ言語について
マークアップ言語のアイデアは、ウィリアム・W・タニクリフというアメリカ出版界の大物によって提示されました。
そう、つまりマークアップ言語の源流は出版業界にあるのです。
そもそもマークアップ言語の「マークアップ」とは、出版の作業過程である「マーキング・アップ」から来ています。
どのような作業かというと、原稿用紙の余白に印刷に関する指示の記号を加える作業です。
これがないとどうなるか?
こんな感じですね。
まぁさすがにこれじゃ印刷会社の人困りますよね。
そのため、印刷に関する指示を余白に記載しておくことで、ここの文字はこう!とかここの行間はこのくらい空けて!とかを印刷会社の人に細かく指示することができたわけです。
ではこの作業をコンピュータに置き換えてみましょう。
マーキング・アップで行っていた作業を、コンピュータに理解させるにはどうすればいいのか?
…そう、そこでマークアップ言語の登場です。
最初期のマークアップ言語はGML(Generalized Markup Language)といって、チャールズ・ゴールドファーブなどのIBM研究者によって開発されました。
Generalized Markup Language - Wikipedia
どんな感じなん?
っていうと、こんな感じです。
:h1.Chapter 1: Introduction :p.GML supported hierarchical containers, such as :ol :li.Ordered lists (like this one), :li.Unordered lists, and :li.Definition lists :eol. as well as simple structures. :p.Markup minimization (later generalized and formalized in SGML), allowed the end-tags to be omitted for the "h1" and "p" elements.
HTMLがわかる人なら大体内容は分かりますよね。
こうしてこの「言語のための言語」、マークアップ言語が誕生しました。
…ちょっと話がメタからそれてしまいました。
では次に、メタを知ることのメリットを追っていきましょう。
「メタ」を知ることのメリット
メタを知ることで、規定概念に対しての俯瞰ができるようになると思います。
これはかっけー言い方をすると、「メタ的な視点」を手に入れることができるということです。
ちょっと言い方が難しいので、解説していきます。
まず、具体的にはどのような場面で役に立つのかを解説していきます。
ここで例に出したいのが、学校教育に対する有名なこの風刺画。
この画から読み取れるものとはなんでしょう。
私個人は以下のようなことが読み取れました。
- 教師による画一的な教育の実施
- 生徒の個性の排除
- 自由思想の否定
こんなところでしょうか。
何が言いたいかというと、メタファーを捉えることによって、具体的な問題点がどこにあるのか考察するのが容易くなるのです。
つまりは、自分がぶつかっている問題に対して、どう対処しようか…と悩んでいる際。
一度その問題をメタ的な視点から見ることで、問題解決の糸口がつかむことができること、それがメタを知ることのメリットではないでしょうか。
まとめ
言語学入門 https://www.amazon.co.jp/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E5%AD%A6%E5%85%A5%E9%96%80-%E6%96%8E%E8%97%A4-%E7%B4%94%E7%94%B7/dp/4385364214/
この本ほしいなぁ…(チラチラ)
なぜカフェは集中できるのか?
どうも、顎髭長髪野郎です。
※自撮りはこんな感じです。
* ゚・:.。.:・゜+ d( ´ ∀`)b うそです +.:・゜゚・*:. *顎髭長髪はホントだけど。
最近書いた記事で長期休みめっちゃだらけちまったチクショウ!みたいな記事を書いたわけですが。
どうも自宅環境がだらけやすい原因にもなっているのでは?と感じていまして。
ただカフェとかだと自作業に集中できるわけです。
なんでだろう?と感じたので記事にしてみようと思います。
「カフェ」の環境について
カフェの環境とボクの自宅環境には以下のような違いがあります。
まずざっくりとカフェの環境情報について洗い出してみましょう。
参考にしたのは金欠の味方!我らがドトール!
ドトールコーヒーショップ 本郷三丁目東店 | 株式会社ドトールコーヒー
内観はこんな感じです。
さてさて、どのような情報が読み取れるでしょうか。
- カウンター/テーブル席あり
- タバコが吸える(喫煙席の場合)
- 食事、ドリンクの提供は店員実施
- 落ち着いた雰囲気
- ちなみにショップコンセプトは「さりげなく小粋」だそうです。初耳。
- ブランドのご案内|ドトールコーヒーのビジネス|株式会社ドトールコーヒー
- 無料Wi-FIの提供あり
- この店舗は広い
落ち着いた雰囲気というのは混雑状況にもよるわけですが、基本的にお店の雰囲気は変わらないかと思います。
「自宅」の環境について
お次に自宅の環境情報です。
- テーブル席あり
- タバコが吸える
- 食事、ドリンクは自分で買うか作る
- 落ち着ける雰囲気(自分は)
- コンセプト?ないです
- Wi-Fiあり
- 狭い&狭い (5畳一間&ロフトあり)
ちなみに内観はこんな感じです。
汚いとか臭そうとかは置いといて…男の一人暮らしって感じしないですか?
ただ、自宅環境情報に関しては人によって違いが出てくるとは思います。
なので、私自身が持っている属性値も以下に記載します。めっちゃざっくりですが…
- 性別 → 男
- 同居人 → なし
- 年齢 → 23
- 性格 → A型っぽい感じ
こんな感じでしょう。うん。
カフェが自分を集中させている要素とはなにか
前項では環境情報の洗い出しを行いました。
そして、洗い出した項目を見てみると二つの相違点が浮かび上がってきます。
- 食事の提供方法
- 雰囲気
ちなみに、広さは店舗によって違いがあるため自宅環境との比較には不適切と考え、排除しています。
だったら最初から出すなって?まぁ思いついたこと書いてただけだからしょうがないね
では何が自分にとってそのどちらが原因になっているか考えてみましょう。
食事の提供方法に関しては、どちらも手順として「買って」「席について」「食べる or 飲む」という3ステップで進みます。
そもそも「作業」と「食事」に関しては切り分けて作業すべきです。実際私は食べながら作業ということができません。
そういった理由から、これは原因としては考えづらい。
では雰囲気はどうか?
「落ち着いた雰囲気」と「落ち着ける雰囲気」では、違いがないようにも思えますが、私はここに「演出家」という役割が裏に隠れていると考えています。
つまり、両社の違いはとしては
- 店として演出している「落ち着き」
- 自分が演出している「落ち着き」
の二つが隠れているわけです。
結果、演出方法が違うから、雰囲気も変わるといった具合ですね。
また、雰囲気からは話が逸れますが、以下のような研究結果もあります。
以下は記事からの引用になります。
米誌「Journal of Consumer Research」には、静かすぎる環境(50デシベル)よりも適度な雑音が聞かれる環境(70デシベル)の方が集中力を高めるには良い、という実験結果が掲載されている。
この研究結果からもわかる通り、演出だけが集中のための要素になっているわけではなさそうです。
つまり、演出は集中するための要素の一つでしかないということがわかります。
まとめ
考察の結果、以下のようなことがわかりました。
- カフェと自宅で集中の度合いに違いが出るのは、雰囲気が関係している
- 雰囲気が違うのは、演出家が違うから
- 「演出」は集中できる環境の一要素でしかない
感想
今後、集中できる環境構築のために、自宅環境はとりあえずカフェに近い演出をしたいなと思います。
どのような演出方法でカフェは成立しているのかについても調べてみたいです。
DIYとかして自宅改造できたらまた記事にしてぇなって思います。
おわりっす。
真面目な記事になっちゃった…どうしよう。
とりあえずうんち!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(真面目への抵抗)
【自分的】今年の正月を振り返ってみる
新年明けましておめでとうございます。
略してあご。
ダーッ!!!!!!!!!!!!!1
あと一年で21世紀生まれも成人を迎えると思うと、なにか月日の流れを感じます…。(ジジイ感)
とはいえ、月日の流れに感慨深くなるような年齢でもないしそんなことしててもしょうがないので
今回の記事では、僕の今年の正月を振り返ってみて、「来年の正月はこうしよう」であったり、または「長期休暇はこう過ごそう」といった気づきを得ることを目的としたいと思います。
ちなみに、タイトルの自分的は自分への戒めといった意味でつけました。
休暇の概要
まず年末年始の休みについて、僕の場合は12/29 - 1/6まであったので、合計9日間もの休暇であります。
ものすごく細かい話をすると、以下のとおりです。
29, 30は土日のため通常通り休み、31は大晦日のため休み、三ヶ日は現場自体が稼働していないので休み、1/4は有給を取り休み、1/5, 6は土日は通常通り休み。といった感じです。
ちなみに、この期間自身の睡眠について一応記録しているので、その記録も添えつつ振り返りを行います。
なんで睡眠時間の記録なんかしてんの?ってところですが、動機は過去のこの記事です。
これを書いたあと、あれ俺睡眠障害なんじゃね?という謎の怖みがぼくを襲い、翌日心療内科の先生に相談してみたところ、ちょっと睡眠について記録してちょーだいと言われたためです。
まぁ冷静に考えると自分でも心配性過ぎない?って感じはありますなこれ。
12/29(土)
まず就寝が0:00、起床が14:50。
寝すぎだろおい。
起床後、秋葉原に赴いてディスプレイとかケーブルをあさってました。
その後、自宅で買ってきたディスプレイのセッティングやら前買ったジャンクPCのセッティングなんかをしていました。
12/30(日)
就寝は3:45 - 5:30と、9:00 - 10:30の2回です。
なんでこんなことになってるのかというと、先程行ったとおりジャンクPCにLinux入れて開発環境構築とかしていたためです。
この日は僕がプライベートで参加している技術チームの定例会があり、午後はそれをメインでやっていました。
12/31(月)
この日の睡眠はひどいですね。
0:00 - 0:30、3:30 - 10:30、14:30 - 18:00の三回寝ています。
多分前日の睡眠不足が祟ったのでしょう。
おかげで全く何もしていません。
年末の「笑ってはいけないシリーズ」を観て、0:00になると同時にジャンプして「俺地球いなかったよ?」をアピールするための準備をし、終わりました。
ちなみに、個人的に好きなのは「笑ってはいけない高校」です。
お豆が好きです。
1/1
この日の睡眠は1:30 - 12:00といった感じです。
まさに寝正月って感じですね。
当たった景品については記事にもしてるのでそちらをどーぞ。
当たったスマホをいじってたりしたら終わりました。
1/2
この日の睡眠は0:15 - 8:30。
比較的まともになってきました。
この日は模様替えにテレビの位置を変えて、あとはひたすらぼーっとしてた感じです。
ここで突然の豆知識!!!!
ぼーちゃんは中国語で「阿呆」というそうです。
どうでもいいですね。
正確にはこの日ぼーっとしてたかどうかも分かりません。何らかの作業はしてたかもしれませんが、とにかく家に引きこもってました。
久しぶりに引きこもりましたが、やはり家にずっといるのは心と身体によくない。
そういったことに気づいた一日でした。
1/3
この日の睡眠は4:00 - 7:00と16:00 - 翌7:00。
「え?」と思われた方。あなたの目は正常です。
せっかく早起きをしたのに、寝る時間が遅かったせいで翌日まで寝ていました。
引きこもりの昼夜逆転はこうして起こるのかな?なんて今では思います。
とにかく引きこもってばっかりなのは僕の性格には合わなかったようです。
ちなみに、この日も特筆してやっていることはありません。
1/4
たっぷり睡眠を取ってこの日は適当な買い物にかこつけて外出。
外出後はプライベートで参加している技術チームのプロジェクト会議をして、親戚の家行って、終わりです。
1/5
今日ですね。睡眠は3:00 - 10:00。
流石に何もしてなさすぎるぞ!!!!ってことで、また秋葉原へ。
グラボと古本をあさり、まぁ小満足くらいのテンションで今ブログを書いています。
なぜこんなにだらけてしまったのか?
ここからが自分にとっては重要。
こうして振り返った感想を箇条書きで以下に記載します。
- 周りより親戚が少ない分、親戚の家に行くようなイベントが少ない
- 長期休暇に対して、事前の計画が立っていなかった
- 家にいるとボーッとしてしまう(少なくとも特筆するようなことをしない)
- やりたいと思っていたことを家にいるとしない
特に3. と 4. に関しては
えっ思った以上にクズやんけわし…
というキョドりを抑えられません。
つまり私は、「家にいるとだらけてしまう」んですね。
やりたいことがあるにも関わらず...
つまりそれが何を意味しているかというと、僕の考えとしては2点あります。
- 本当にそれがやりたいことなのか?
- 家の環境がやりたいことをやれる環境じゃないのではないか?
どちらが本当の原因なのかは不明ですが、おそらくどちらも考えなくてはならないことかと思います。
また、1. は仕方ないとして、2. に関しても問題です。
僕は思ったらすぐに行動に移すタイプです。(周りの影響がなければ)
なので、計画した方が明らかに充実するはずの事態に対して、一人の場合は事前に計画して何かをするといった習慣があまりありません。
つまり、自分には「計画をする力」が圧倒的に足りない。
まとめ
簡易的ですが、自分が修正すべき問題点は以下のとおりです。
- やりたいことについてもっと深掘りする
- 家を「やりたいことができる環境」に整備する
- 計画力を身につける
この3点に注意して、、、次の長期休暇はメチャクチャ充実させるぞー!!!!!
うきゃーーーーーーーーーーーあああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
おしまい。
【2019年】秋葉原で3000円の福袋が意外といい感じだった件【あけおめ】
やっぱいいよね福袋。
お正月といえば秋葉原のわけわからん福袋ってことで、早速紹介していこうと思います。
ちなみに買ったお店はロケットニュースさんとおんなじっぽいです。
福袋、いかに外れる可能性があるとわかっていてもボブとブーブーズのシールが当たったら普通に死にたくなります。
中身
ざっとこんな感じです。
いや、ほんとに電気街で買ったか疑いたくなるレベルでシールとかパズルとかよくわからん鍋敷きとか入ってますね。
今回はいい感じだったやつだけ紹介します。
・ファミコンカセット3本 (「ドラクエ2」「ドラクエ3」「スーパーマリオブラザーズ3」)
・Xperia(SOL22)
これあたりでしょおい!!!!!!!!!!!!!!!
ヤッター!!!!
選定基準
これに関しては重さだけで選びました。
それ以外は何も考えていません。
というか「重さだけで選ぶ」って論理的に考えたら全然あたりを引くための確定要素ではないので、今回はホント運だったと思います。
感想
やっぱり福袋ってわくわくしますね。
出費も少なくて済むやつならダメージもそんなに喰らわなくていいです。
他の福袋とかだと「3000円でジャンクPC必ず入ってます!」とかがありました。(これはもう売り切れてて買えませんでした。)
とりあえず当たったXperiaはAndroidアプリ開発のテスト用として活用していこうかなと思います。
そんじゃまた。