「仕事」に関する考察 (1)
どうもちゃんだいです。
早速ですが、皆さんは「仕事」に対してどういった思いを抱いていますか?
「単調な労働」、「人生における生きがい」、「何も感じない」etc...いろいろ感じることはあるかと思います。
が、それ以前に
- そもそも私達はなぜ仕事をしているのでしょうか?
- そもそも私達が仕事をすることでどこにどういった影響があるのでしょうか。
- そもそも仕事ってなんなんでしょうか。
…まあ正直、こういった話は歴史上様々な場面や場所で議論されてきました。
そこで、今回は「現代における仕事」についてを掘り下げ、読者の皆様におかれましては、より仕事に対して厚みを持って取り組んでいくために今回書かせていただきます。
「なんだこいつ上から目線で忌々しい!!!糞が!!!!」って書き方にならないように努力はしますが、万が一そのように捉えられてしまう記載をしていた場合は温かい心でご指摘をお願い致します。(厳しい言葉投げられちゃうと死んじゃう病なので、、、)
仕事ってなに?
まずはそもそも仕事とは何か、というところです。
これに関して、ドイツの哲学者ハンナ・アーレントは一言で以下のように定義しています。
仕事とは、人間存在の非自然性に対応する活動力である。
この一文のみだと分かりづらいかも知れません。
つまり、自然に存在しないものを作り出していくための活動を「仕事」というふうに定義しています。
この仕事観は実に論理的、かつ完結で私は好きです。
確かに、私達のしている仕事は「自然」に存在していないからこそ成り立ちます。
自然に存在しているものを人間が搾取するというケースもありますが、それも非自然的です。
歴史上の観点から見ても、自然に存在するものを作り出す仕事は存在しないため、これが仕事の定義と見て恐らく間違いはないでしょう。
なぜ仕事をするの?
では、私達はなぜ仕事をするのでしょうか。
それには仕事の起源から探っていくことにしましょう。
先ほど、仕事の定義を「自然に存在しないものを作り出す」と言いましたが、とすると仕事の起源は「石器の作成」がそれに当たるのではないかと考えています。
ここで重要なのは、なぜ石器を作成していたのか?という部分です。
私はそれを以下のように考えています。
- 狩りの効率化のため
- 同族争いの際に有利に勝つため
そして、この2点に共通しているのは、、、「(何かに対する)より良いアプローチ手法」だという部分です。
つまり、「何か」を より良くするために仕事をする、それが仕事をすることの私の見解です。
総括
なぜ仕事をするのか?というところがわかったところで、今回は終わりにします。
次回は更に歴史的観点も鑑みて、現代の仕事にフォーカスを当てた考察を行おうと思います。
それでは。