彼女がいる夢を見た。悶々としているから書く。
題名の通り。
現在時刻4:30。夢を忘れたくないので書きます。
夢の中で僕は高校生、そして登場人物はその高校のクラスメイトの4名、大学自体の男友達2人と、バイト先で一緒だった女の子だった。
他にクラスメイトはいた気もするが、覚えてはいない。
高校は通ったこともない高校。名前は覚えていない。年次も覚えていない。多分どうでもいい。
僕は何故かその女の子と付き合っていて、多分向こうから告白された感じだったと思う。
でも僕も、彼女を本当に好きだったことを覚えている。
夢の中の時刻は放課後、そして僕は彼女と放課後デート。死ぬ程楽しみだった。
がしかし、ここで久し振りの友人から電話、聞けばSNSで使う写真が欲しいから、高校近くの公園で撮ってくれ、とのこと。
この友人は先程の説明で、登場人物は4名と言った中の男友達の一人である。友達になったが残念ながら転校したんだろう。その辺も夢なので曖昧。読者には申し訳ない。
何故か常にカメラを持参していた私(これは現実での私の趣味が一応カメラなので出てきたものと思う)、久しぶりということもあり即彼のもとへ向かう。
公園に着くと、電話をかけた被写体である久し振りの友人と、もう一人のクラスメイトの友人がいた。共通の友達だったのだ。「久しぶり」から始まっていろいろ3人で話した、他に会話したような気もするけど覚えていない。でもなんか嬉しかったのは覚えている。
いい写真を撮ろうと意気込む私。写真を撮るために公園にある10mくらいの高台に登る。公園に何故そんなものがあるのかは不明。
夢中で写真を撮った。楽しかった。
そしてここは全く意味不明だが、何故か被写体の彼は血便を出しながら走っており、それを私が撮っていた。撮った写真は被写体が動きまくっているためにボヤけすぎていたのを覚えている。
シチュエーションは意味不明だが、ひとまず撮影はひと段落した。
その直後、被写体ではないクラスメイトの男友達が、僕の彼女を高台まで連れてきた。
僕はウッとなっていた。
約束を破ってしまった。というか何故忘れた。友人との約束がそんなに大事だったのか。でも確かに久し振りの再開は嬉しかった。だけど連絡くらいはできただろ、なんで…
そんなことを考えて、「連絡できなくてごめんね」なんて、相手からしたら平謝りにしか見えない謝り方をした。
彼女は泣いていました。泣いている彼女を見て僕も泣きそうになりました。
「どうして連絡しなかったのか」と、僕も聞いてみました。撮影中に確認したスマホには、確かに通知は来ていませんでした。
約束破りの僕から聞けるようなことじゃないけど。
連絡できなかったのは、邪魔をしたくなかったから、と。
でも彼女に撮影があるなんて言ってません。
きっと僕が楽しそうに写真を撮っているのをみてしまって、そう考えたんでしょう。
優しくて可愛くて愛おしくて、とにかく抱きしめた。二人で泣いた。
そしたら起きた。深夜3:30。
おいおいおい、ふざけんなよ俺の脳。
彼女なんていねーよ、つれー現実に戻しやがって。
でもなんかいいわ、オナニーブログ久し振りに書けたし。
それでは二度寝します。おやすみなさい。
ちくわはきゅうり詰めて味噌つけたら化ける
僕の人生はちくわです。
でも、やりたいことに素直になれず、やったことに文句を言ってしまうから、おいしいちくわの方が優れている。
僕の人生は土管です。
でも、言われたことがすり抜けてしまうから、子供にかくれんぼって遊びを提供できる土管のほうが優れている。
僕の人生はトイレットペーパーの芯です。
でも、空っぽの言葉で人を傷つけてしまうから、人をキレイにしてくれるトイレットペーパーの方が優れている。
僕の人生は空っぽです。
…って感じのことを考えてました。
脳内でポエム垂れ流してても自己満足にしかならないので、ここに晒します。
ここに射精しておくことで、少しはポジティブになれるかもしれない…と。
しかも内容が妙にネガティブなので、負のスパイラルに陥りがちなんですよね。
でも妄想すること自体は楽しいですよね。うん。特に想像力使うのでいい連鎖になりやすい気がします。うん。
もしも読んでいただいた人がいるなら、この自己満ポエムの感想もお待ちしております。
責任感が強いあなたへ、もう無理しなくていい
はじめましての方ははじめまして、お世話になってる方はお世話になっております。
社会人3年目のちゃんだいと申します。
今回もちょっとアンニュイな気分なので、自分への反省も踏まえて、このテーマで書いていこうと思います。
責任感が強いから苦しんでいる人、辛い人に読んでほしいです。
責任感ってほんとに大事?
大きくなると、いろいろな人との関わりができていくよね。
例えば、お父さん。
お父さんは、お母さん、子供、もしかしたらおじいちゃんやおばあちゃんのお世話もしなくちゃいけないかもしれない。
そうすると、みんなにご飯を食べさせるために、「頑張って働かないと」ってなる。
それが責任感。
でも、働き先が辛かったり、周りの思いやりがないと、お父さんでもどんどん弱気になってしまう。
どんどん弱気になって、ある日、ぷつんと動けなくなってしまうかもしれない。
お父さんだって不安なんだよね。つながりがないと辛いんだよね。
だから、ありがとうって言ってくれる家族や、思いやりのある環境が大切なんだ。
責任感は、人を動かすエネルギー。
でも、他にも人を動かすためのエネルギーは、たくさんあるんだ。
責任感だけで動けてしまえる人なんていないんだよね。
だから、一番大切なのは、思いやりなんだ。
責任感に押し潰されそうになっている人へ
あなたがいましていることは、誰かに任されたり、自分がしたいことだったり、誰かのためにやっていることかもしれない。
それはこの記事を読んでくれたあなたがやっていることだから、とても素晴らしいことだと思います。
本当にありがとう。
でも、その責任感に押し潰されそうになって、怒られたりして。
結果としてそれが自分を苦しめてしまうなら、やめてもいいんだよ。
一旦、休んでもいいんだよ。
そして、自分がしていることを見つめ直してみるのもいいと思うんだ。
相談できる相手に相談してみるのもいいかもしれない。
もしもそれも辛いなら、何もしなくたっていい。
ただボーッとしてみたり、寝たいときに寝たり、遊んだりしていい。
人生、自由なんだから。
もしも、あなたが元気になったら、一緒に話したり、お酒とか飲むのもいいね。
待っているよ。
仕事が辛い、辞めたい、行きたくない。だから海に行きました。
はじめましての人ははじめまして。お世話になっている人はいつもお世話になっております。
社会人3年目でエンジニアをしております、ちゃんだいといいます。
もう夏ですね。ボクの家のクーラーは徐々に活躍しだしております。
さて、早速ですが本題です。
皆さんは仕事に行きたくないと思う瞬間、ありますか?
もしくは学生だったら、学校に行きたくないと思うとき、ありませんか?
そんなときは、「しゃーねー、行ってやるか」とか、「仕事だし、やってやるか」と自分に言い聞かせて、仕事や学校に行くのかもしれません。
ボクはそうでした。
でも、昨日、今日は無理でした。
いろいろ思うところがあったので、一旦ここに吐き出そうと思います。
仕事や学校に行くのが辛いと思っている人が読んでくれたら嬉しいです。
なぜ仕事を休んでしまったのか?
仕事に行かなきゃいけない…と自分を追い詰めすぎたことが原因ではないかと思っています。
今ボクが仕事やっていることに関しては、周りに知識がある人がおらず、皆別のタスクでいっぱいいっぱいになっていて頼れる人もいないため、自分だけで全部背負い込んでいたのです。
状況報告をしても、向こうからのレスポンスが薄くて、いくら仕事をしても感謝もされない。
なんでボクはこの仕事をしているんだろうって、考えれば考えるほど辛かったです。
それでも、常に仕事のことばかり考えていました。
でも昨日、その不安感に耐えられなくて、休みました。
昨日は一日、やっぱり不安だったから、ずっとその仕事に関連する勉強をしていました。
明日は絶対いい仕事をして、この不安が消えればいいなと思って。
でも、深夜まで勉強したってちっとも不安が消えなかった。
だから、知識がないからじゃないのかもしれない、これは心の問題なのかもって思ったんです。
それで、今日も仕事を休みました。
仕事を休んで、海に行きました。
仕事をするってなんだろう
ボクは今やっている仕事はとても好きです。
もしかしたら、この記事を読まれる方の中には、仕事が嫌いって人もいるかもしれません。
やっていくうちに仕事のことを嫌いになったのか、もともと嫌いな仕事だったのか、理由はあるかもしれません。
基本的に、仕事をやるっていうことは、ときに自分にとってすごく辛い状況だったり、または同じ会社の仲間に辛い命令を下さなければいけなかったり、難しい判断をしなくちゃいけないときがあるんだよね。
そんな時でも、しっかり任された仕事をこなせる人だと、より信頼されて、更に大きな仕事を任されたり、キャリアのステップアップができたり。
ただ、ずっと辛い状況が続くと、やっぱり人だから、だんだん心が摩耗して、思ったとおりに仕事ができなくなっていく。
そうしていくうちに、だんだん仕事が嫌いになっていくこともあるかもしれないですね。
でも考えてみると、自分がその仕事を嫌いでも好きでも、仕事をした結果生まれたモノを買うお客さんに関係あるんでしょうか。
関係ないよね。
だって、買う方はその「モノ」を買うのが目的であって、あなたの仕事ぶりを見るのが目的じゃないから。
そう考えると、仕事は自分がもっと楽しめる形で出来たほうが、自分が苦しまなくて済むはずだし、自分が楽しいから、人にも面白い、とか、いいねって思えるものを提供できるはず。
でも、周りの人は仕事をもっと厳しい目で見ていて、そんなに社会は甘くないとか、苦しんで仕事をすることが美しいと考えている人が多いんだよね。
ただ、きっとこの記事を読んでくれているってことは、苦しいことはどんなことにでもあるって知っているし、そんなに社会が甘くないことくらい、分かっているはずだね。
だから、仕事をするっていうことをもっと「自分にとって楽しいことをする」くらい楽観的に考えられればいいと思います。
今の仕事が苦しいとき
「十分苦しんだし、辛いことを経験した、あとの仕事は手を抜いて楽しもう」
それくらい楽観視できたら、どんなに幸せだろうか。
今日までのボクにはできなかった。
完璧主義なのかもしれない。ただの見栄かもしれない。そのどちらもってことかも。
ただ、いろいろ原因はあるかもしれないけど、気づくことができれば解決することもできるんだ。
ボクが好きなCMがあります。
東京モード学園 離すな アニメCM 2018年度 hare ヤバイTシャツ屋さん 好きなことだけは、死んでも離すな
「嫌なら辞めてもいい、苦しいなら逃げてもいい、でも好きなことだけは死んでも離すな」
嫌なら辞めてもいいんだって、これを見てとても気持ちが楽になりました。
ボクは今2社目です。ですが、好きな仕事が、職場環境によってとても苦しくなってしまっているので、辞めようと思っています。
ただ、もしいま、好きなことがないって人。
ぜひ、海に行ってほしい。
海に行ってきました
そうして、どうしようもない不安を抱えたまま、今日の昼頃幕張海浜公園に行きました。
海はやっぱり東京の海だなー、って感じで汚かったけど、心地いい波音を聞きながら、潮風を頬に感じ、深呼吸をすると、すこし落ち着けた気がした。
海はただ、波を打っては引いて繰り返して、そこにたまにかもめがやってきて、それもどこかに飛んでいって、それをボーッと眺めていました。
それを見ていて、きっと、ボクがいなくても仕事は回る。
不安に感じる必要はないって思えてきた。
つまり、仕事をする上で自分が必要とされていない、と。
そう感じることで、ボクは昨日よりずっと楽になりました。
それはつまり、ボクが必要とされる居場所が、もっと他にあるってことなのかもってこと。
そんな中、上司からチャットで「病気なら病院いけ」と。
心配してくれてありがとう。でも、病気じゃないんだ。
「ご心配おかけして申し訳ありません」
ボクからもチャットを送った。
多分、上司は自分が感じている不安には気付かない。
一度、あまりにも仕事が辛いので相談したことがあるが、私には相談するなと言わんばかりに、会話を続かせようとしなかったから。
だからもう、きっぱりと辞めようと思う。
…
それで、好きなものが今ない人、それは、嫌いなものばっかりになっているからかもしれないね。
自分が嫌いとか、上司が嫌いとか、家族が嫌いとか、友達が嫌いとか。
ボクも嫌いなものはある。例えばさっきの上司とか。
嫌いなものが増えると、目に入るものぜんぶが嫌いなものなって、余計に嫌いになるよね。
でも世界は思ったより広いから、もっとたくさんのものに触れたり、いろんな人と会ったりしたら、きっと好きなものが見つかるはず。
好きなものが見つかったら、嫌いなものを嫌いな分、好きなものにたくさん気持ちを注いでいけばいいよ。
そういうこと、海がボクに教えてくれたんだ。
だから好きなものがない人は、まず海に行ってみるのはすごいおすすめ。
好きなものがある人も、辛いことがあったら、海に行って、深呼吸してみてごらん。
少し、不安がなくなるはずだから。
社会人からスーツ引いても社会人です
このブログに影響されたんで書きます。
僕も社会人になって割と経つんですが、行く会社はなぜかスーツを強要してきます。
まぁ嫌いじゃないよ、スーツ。
中学生の時とか龍が如くに影響されて真っ白なテーラードばっか着てたし(それは厨二病か)。
でもそれより楽な服いっぱいあるし、機能性ある服はあるし、、、
あれ、じゃあスーツって何?
ってことで、スーツについての深掘りと、それが個人の活動にどう影響するのかを考えてみよう。って感じでういーっすって書いていきます。
スーツのルーツ
見出し言いたいだけって思われるかもしれんけど、えぇ、言いたかっただけです。
ではまず、スーツを着ることでどうなるか?を洗い出してみよう。(ここは主観も混じってます)
- フォーマル(= 正式である、格式張っている、儀礼的なもの)
- 誠実さを演出できる
- 会社においては浮かない(会社による、日本企業はめっちゃ多い)
このくらいでしょうか。
で、ルーツについては簡易的に説明してくれてるサイトがありました。
元はヨーロッパの上流階級の方々が着ていた衣服が起源と言われており、時間の経過と共にフォーマルウェアの概念が簡素化され、広く一般化されました。
一応Wikipediaからも参考に…って思ったらスーツ自体めっちゃ種類あった🤭
ボディスーツとか含んでるからか…なるほど。
ってことで背広のWikipedia見てみましょう。
興味深いところを引用。
日本では明治維新に伴って背広を含む洋服を取り入れたが、冠婚葬祭などにおける礼装や、仕事や外交における半ば制服として、ファッションではなくマナーに留まっていて、これは現在も続いているとする評もある。冠婚葬祭でのブラックスーツや就職活動でのリクルートスーツ、会社員や公務員では暗い色の背広に白いシャツと地味なネクタイ、暴力団などの反社会的勢力ではけばけばしい派手な背広とシャツとネクタイの組合せなど、ステレオタイプな画一的な服装をしていて、背広を含めた服装に社会の規律を意味する度合いが、日本では非常に高いとされる。
ルールとスーツは関係ねぇ
上記の引用から、社会規律を重視する日本の文化と、スーツというスタイルは非常に相性がいいということが分かりました。
つまり、社会人のスーツは日本の社会規律のモチーフである…と、ここまで来て思ったのは
そもそも規律ってなんだっけ?
ってことですね。
規律は「秩序」とも言い換えられますが、秩序について辞書で引いてみると
その社会・集団などが、望ましい状態を保つための順序やきまり。
と定義されています。
まぁ、この日本社会において、望ましい状態を保つための規範、秩序は、着る物によって決まるのか?ってことですが、、、
んなわけねぇだろ。
ユニクロ着てるやつが人を殺して、ユニクロが悪い、なんてことになりますかね。
そもそも、服と文化は密接に紐づいていますが、服と個人の思想は関係ありません。
つまり、規律(秩序)と服装は関係ないです。
つまり、「ルールだから着てね💛」とか言ってるバカ上司は、規律の言葉の意味から理解していないといえますね。
あとなんか調べてみたらおんなじことをちゃんと書いてくれてる人がいました。
俺が後。
スーツとマナーについて
(クソッ、見出しで続いた韻がなくなっちまった。)
あーあー、規律とは関係ないにしても、マナーとは関係ありそうなスーツ。
それについて興味深いサイトがありました。引用しまくりです。
出石先生によれば、1825年に、フランスのジャン・アンテルム・ブリア=サヴァランという方が味覚の生理学という本の中に、【君の食べているものを言ってみたまえ。ならば君がいかなる人物か言ってあててみよう?】とあるのだそうだ。
食べているものを聞いただけで僕は、育ち、家柄、ライフスタイルも仕事も当てられるよ、ということだ。
ところが、服は聞かなくてもわかるわけだ。
あなたが服を着た姿を、会えば見ることができるのだから。
例えば、自分の意志を伝えようと思ったときに、どんな方法使うかって話ですが、いろんな方法があるじゃないすか。
目は口ほどに物を言うっていうじゃないですか。ほんと見た目って重要で。
服装から相手に何かを伝えるということについて、スーツは歴史がある分、あまりにも洗練されすぎているんです。
このサイトではスーツを落花生に例えて以下のように説明しています。
神様がこの植物に与えた生態なんです。
花が落ちて、薄皮に包まれて生き延びる。花っていっぱいあるでしょう、花が落ちたら終わり。
でも落花生は生き延びるんです。
薄皮と外の硬い皮に包まれるから。スーツに当てはめると、似てるなあと思いませんか?
僕たちは裸のまんまでは生きられないんです。外にも出られない。
せめて下着がないといけない。この形、良く見てもらえます?
窮屈でもなく、ルーズすぎることもない。
これをみんなわかってないんです。
ちょうどいい関係でしょう?
スーツは着る言語なんです。
話し言葉以前に着るものでも何か発信してる。
黙ってても、発信してる。
着る、言語なんです。
ただ、歴史あるスーツブランドこそが最適なフォルムを知っているのであれば、そこらの安物スーツを着てても相手に与えられる印象なんて大して変わらないんじゃ?って感じがしました。
あともっと個人的な主観言っていいすか?
ぶっちゃけ僕は裸のほうが好きですね。
とはいえ、フォーマルな場ではスーツはわりかしありですね。
総括
へー、スーツって面白いなー、って思いました。
あと、「規律」があるからってスーツ着せようとするやつに感じる違和感はこれかぁ!って納得できたので良かったですね。
とりあえず今後、スーツが与える印象については把握した上で、裸が好きな僕は服はパーカーのほうが好きだから仕事でもプライベートでもパーカー着まーす。
あのポケットの機構が好き。めっちゃいろいろ入るじゃんあそこ。
夏は半袖パーカーがおすすめやで!!!!
これこれ!!
2019/5/30 追記
知り合いが書いてるブログです。
就活してる人、いろんな服でチャレンジ、就活!
黒でも白でもない企業ってあるよね、あれ大嫌い
休日出勤でイライラしたので書きました。
ここに書いたことは自分なりに考えて書いてはいますが、ツッコミどころは相当あると思うので、そういうときはそっとコメントで指摘頂けるとありがたいです。
はじめに
そもそも企業として黒とか白とかって何?って感じで
こんな組織は黒になるんじゃないかなって。
こういうのは遅かれ早かれ死ぬのは確実ですね。
でも、黒でも白でもない企業って割といっぱいある。
例えば
- 人材教育にコストをかけない
- 現場の意見を聞かない
- インセンティブがない(それに付随して社員のモチベーションがない)
こういう会社はグレーになるのかなーってぼんやり思ってます。
ここまで書いてて思ったけど、あれ?企業に黒も白もあるの?って思ったので次。
そもそも企業ってなんや
大前提企業ってなんだろう。ってことで。
wikipediaだとこんなふうに書いてます。
企業(きぎょう、英: business)とは、営利を目的として一定の計画に従って経済活動を行う経済主体(経済単位)である。社会的企業を区別するために営利企業とも言う。家計・政府と並ぶ経済主体の一つ。国(中央政府)や地方公共団体が保有する企業を公企業(こうきぎょう)、そうでない企業を民間企業(みんかんきぎょう)という。通常は企業といえば民間企業を指す。日常用語としての「企業」は多くの場合、会社と同義だが、個人商店も企業に含まれるので、企業のほうが広い概念である。
まぁポイントは以下のとおりです。
ポイント:企業は利益を得ることを目的として活動する組織
シンプルにシンプルに考えていくと企業は利益を得ることが目的なんですよね。
そう考えると、利益を得るために残業するとか、休日出勤するとかは別に悪いことじゃないんじゃないかなって思う。
ただ、以下のような要素があるため、残業することはあんまコスパよくないよね。
- 残業後の時間は集中力切れて生産性悪い
- 一つのことばっかりやらせると、モチベーションも下がる
- また、成果上げた人に対しての「がんばったで賞」がないとモチベーション下がる
効率的に利益を得るための手段として、福利厚生が豊富とか、残業0とかを掲げているんですねー。
結局企業としての黒白って何?
話逸れちゃって申し訳ないですが、ボクより上の世代の人(今の30代後半〜40代前半あたりの人)と仕事について話すと、よくあるのが「仕事だから」とかで割り切ってできちゃう人っているじゃないですか。
割り切るってことは、普通の会社員だったら平日一日7.5時間を全部仕事として割り切ってやっちゃうってことだよね?
つまり7.5時間が今後自身の人生にとって活きてこないってこと。(まぁ割り切ってやってたとしたら100%活かせるようなことにはならないよね)
…
あー、それつまらんな…
割り切りは仕事の場面によっては必要かもしれないけど、そんな場面日常業務である?って話で(役員とかは別だけど)
つかやりたいことだけやってないと病むわ。
で、また元の話に戻ります。
つまり、利益を得られるなら少なくともそれは「企業」の定義に沿ってるし、それをちゃんと社員に分配できてればそれはもうすごい立派だと思います。
極論、企業が白か黒かって、自分が決めることなんじゃないかなって思います。
それで満足しないなら合ってないってだけの話で、そんなんはやく辞めてまえ。
これから転職しようとか思ってる人へ
ここから書くことはボクもまだ就職、転職で成功したことがないので、ホント戯言だと思って聞いてもらっていいっす。
なんか、「転職する!」って相談した時、相談相手が「経歴に傷が〜」とか言うけど、傷はつくよねそりゃ。
経歴なんて今までの人生勝ったか負けたか書いてるだけのもんなんだから、負けまくってるやつ会社に入れたいなんて考える人事部いないよなぁ。
だからこそ、今の自分を出しまくっていくことってすげー大事だと思うんだ。
結論、今をアウトプットしようぜ!
ってことで終わり。
あ、これから転職する人、一緒に頑張ろうね。